高校時代、授業中に落書きとともに歌詞を書き殴っていた少年久保は、18歳東京上京を前後してオリジナル曲を書き始める。
リアルタイムのトレンドには目もくれず、遡って60's UK、USのビート系バンドをむさぼり聴く日々。
ストレートで入学した大学の二回目の1年生の時に音楽サークルへ潜り込み、ビートルズ、ツェッペリン、クリームなどのカバーバンドでボーカルを担当。
同サークルのギタリストとバンド結成に向け、オリジナル曲の練習に励むものの、音楽性の相違により別離。
初期の楽曲群はマイナー調のシャウト系ロックが多く、その反動で現在マイナー調の曲が少ない。この頃、この先の方向性を決定づけるミュージシャンElvis Costelloに出会う。ポップ的要素が挿入されていく楽曲はコステロの影響が色濃い。
その後は自身でアレンジを固めながら、打ち込み+エレキギターというスタイルで都内ライブハウスにてソロ活動を行う。
さらに、ロシア製カルトカメラLOMO LC-Aをきっかけとする集団「TokyoLomoHeads(現在同名称での活動は締結し、新たにSUPERHEADZ INa BABYLONという名称で精力的に活動中 )」において、写真、映像等で参加するなど音楽以外の面においてもパラレルに活動。
2004年Zepp Tokyoでの音楽イベントに合わせたソロデビュー最終オーディション、
次いで2005年同最終オーディションへ進出。
ソロデビューには至らなかったものの、同イベントで2曲を披露、2006年1月同イベント出演者による全国発売のコンピレーションCD「二十一世紀新音樂展2005」をリリース。
同イベントではMCにも起用され、また、高速道路サービスエリアを対象とするフリーペーパー内CDでパーソナリティを担当。
また、アーティストへの楽曲、詞の提供なども行ってきている。
2006年10月のZepp Tokyoでの音楽イベントの最終審査で3000名強の応募の中から4組のアーティストに選出され(※イベントは2007年6月に延期)、
いよいよバンドとしての新たな歴史を刻むこととなる。