石巻レポート(2011/4/18-23)

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4/19(火)

眠れず朝を迎え、休憩所前喫煙所にて、兵庫から来られ4日目だという方と話。

EMIぼかし(?)という農業用肥料がトイレのニオイ消しに効果絶大のため、事前に物資として提供しており、これの使い方をレクチャーしたり、市内の避難所で肩もみなんかをやっているとか。いろんな貢献の形があるんですね。

昨日知り合った大学生Kさんと話。やきとり通りというところはスナックばかりあるらしいがそこで泥のかき出しをやってアルコールのニオイがすごかったと。マスクじゃアルコールの強烈なニオイは防げない。また泥の上部は乾いているが、ずぼっといって足が抜けなくなる話など。

今日彼らは二班に分かれてお寺へ行くという。どうも大きな被害のある寺のようだ。


AM8:30頃、受付をすませ、そこでなんとなくグループが出来、出発。

ちなみに↓の写真、今日のじゃありません。実際の今日はこれから雨が降るわけでもっとどんより、寒さ継続中でした。




マイクロバスに一旦乗ったもののミーティングをやるとかで建物内に。すでに話をしていて(40〜50人ほどのボランティア)、特定団体でないボランティアの問題点を垣間みた気がした。

話はこうだ。各グループがあり、リーダーというか班長という存在があるがその人も基本個人の一ボランティアでみなと同じように作業をしたい。

しかし「これはどうすれば?」といった問い合わせが日に何十件も携帯を通じて来るため、その処理に忙殺されてしまう。

自分で判断するのがボランティアの原点であり、何でもかんでも聞くな、という主旨。

言いたいことは分かるがまわりくどく、そこにいる多くがややいらついている中、一人の男性が「何が言いたいのかよくわからない。1分でも早く現場に行って作業しよう。雨も降ってくるし」と口火を切る。確かに1日限定で来ている人、2-3日滞在の人、初めてボランティアをやる人(僕含む)なんかにとっては「ん?ん?なにこれ?」という違和感でしかない。いきなり反省会だもんこれ。

ミーティングを開いている側(どこの誰?)が元の発言を擁護したり、「冷静に!落ち着いて!」とか取り乱す者もいて、やや異様な光景だった。

つまりは受付で「ボランティアの心得」じゃないが1枚ビラでも渡せば解決する問題のような気がした。右も左も分からない初日にそんなん言われても正直とまどいます。

事務局側では分かっているものの単に手が回らないというだけかもしれないが。

石巻ボラセンにはNGO団体ピースボートめ組JAPANなどのボランティア団体がいたりするが、そういった団体と個人個人が方々から集まる、いわばその日限りの即席団体ではどうしても意識の差が出てしまう。著名団体は事前に説明会とかしているみたいだし。

また、石巻ボラセンの規模が大きく、ボランティアで来る数が多いのもピースボートがいることが今回大きいと誰かが言ってたっけ。

ちなみに2日ほどして判明するが、ミーティングに食ってかかって「ご託並べるよりさっさと行動しよう」と訴えたのは今日から一緒に作業することになるWさん(推定60代)だった。ブログでもそのことに触れている。


ミーティングは最終的にグダグダになったが気を取り直してAM9時すぎ出発。

渋滞し現地まで40〜50分かかったのではないかと。毎日行き帰りともに大渋滞だった。

途中自衛隊が駐屯している球場があったり、進むほどに被害が見えてきた。

歩道には多くの瓦礫がうずたかく積まれているが、場所によって被害は様々。

商店街にアカレンジャー(of ゴレンジャー)が無傷なのを発見する。お店はなんとか再開しようと人がいるところ一部と、まったくメドが立たなそうなところ大部分という感じ。

なんで今時アカレンジャーなんだ?とその時思ったがその後すぐ判明する。


営業できていないスーパーなどが臨時の駐車場になっていて、そこから歩いて現場に向かう。途中避難所である大街道小学校を通った。石巻ボラセンのある専修大学とこの小学校が僕がいる間、目にした避難所だが避難されている方との直接のやり取りは挨拶以外なかった。ボランティアも適材適所である。

↓写真のように車一台通れる道があるが、直後はここも瓦礫でいっぱいだったはず。道の両サイドには瓦礫やゴミが積んであります。全壊、半壊の家もありますが、そのまま残っているものも多いです(住める状態ではないですが)




作業するAさん宅(正面右)↓到着。

すでに大きい瓦礫は重機で出した後かもしれません。

瓦礫の撤去などは家によってまちまちです。手つかず状態の家もあります。

聞くところによるとこの作業、業者に頼むと1人当り1.5万円/日かかるそうで、10人でやれば1日15万。僕らはそれくらいの人数で3日間やって完全には終わりませんでした。見た目より断然時間のかかる作業なのはやって初めて分かります。被災された方に仕事もない状況でそういった負担が課せられるのは非常に酷な話です。それもあって手つかずが残っているのかもしれません。僕らのようにボランティアでやっているというのを聞きつけ、申し込まれるケースもあるようです。




「一面何もない光景に言葉をなくす」という現状を目にするかと想像していましたが、写真でお分かりのようにそうではありません(よくよく考えたら土台だけになってしまった家で僕らにできることはおそらくないですもんね)

家そのものはあり、1Fが津波による破壊および浸水、全体(道、庭、屋内等)は津波で流されてきた自分の家の物じゃない物で覆われているという感じです。

家の中に津波の爪痕を示す跡があり、170cmくらいの位置にありました。

作業内容は、家の庭に流れついて覆っているものをそこここにある瓦礫一時集積所に持っていくというもの。

車など人の力では無理なものは重機が必要だがAさん宅のほとんどの物は人力でやれるものだった。

それでも二人、三人がかりで運ぶ大きめのものもある。畳を出す作業については水を吸って重くなっているものが多く、四人で運んだりする。


この班の班長は札幌から来ているTさんだが、Tさんは今日までのため(しかも滞在を延長して今日に至っている)、明日からマイクロバス(Tさん所有だったのかな)でなく、作業するボランティア自前の車何台かで分かれていくこととなる。

個人で来る際、複数人乗せられる車だと重宝する。

同じく今日から一緒に作業した仏人マチューの経歴が興味深いので軽く紹介しよう。

彼は現在愛知県一宮市で親方のもと庭師の仕事をしているが、刀鍛冶になるのが夢でこれまで全国30ほどの鍛冶屋を見て回ったという。「この人なら」という師匠を探すんだとか。

実はロンゲ、ドレッド気味の彼。同じような風貌の日本人Tさんといるもんだから、昔からの仲かと思いきや、知り合って数日。もともとマチューがヒッチハイクで東北へボランティアに行きたいと動いていたらしく、Tさんやのちに班長となるSさん(女性)と名古屋で出会い、3人組となって石巻入りしたという。この3人も僕と同様今日が初作業。

一班10数名ほどだが、女性も3〜4名いる。出身も年齢も様々。

最初は分からなかったが、一度同じ班で作業をするとほぼ同じ顔ぶれで行動するようになるため、いろいろ分かってくる。同班のメンバーをちょっと紹介してみたい。


※文中○日目とあるのは僕の初日を基本的に起点にしています。


Tさん:札幌から。今日まで班長を勤めるが、来た時は個人の一ボランティアだった。年齢:推定60代かな。何日活動したか分からないが当初の予定より長く滞在していたようで僕の初日が最終日でした。

Tさん(女性):千葉から。一児のママ。3.11で千葉も液状化現象の被害を受けたため、ボランティアとしてはそこで初めて経験し、石巻入り。今回の石巻で何から何までお世話になりっぱなしだった方。滞在期間中車中泊をしている。今日が初日。

マチュー:前述。愛知県一宮から。今日が初日。

Tさん:愛知県尾張旭から。Aさん宅にあった(流れてきた?)サビついた弦の、チューニングの合わないアコギをランチ休憩時弾いてたりするんでギタリストかと思いきや、サックスプレーヤー(でもギターの方が好き)。石巻滞在中どこかで練習をしていたら声をかけられ、土曜のライブに参加しないかとのちに誘われる。今日が初日。

Sさん(女性):岡山から(以前名古屋在住時代があり、今回マチューやTさんと)英語堪能、翌日よりこの班の班長となる。今日が初日。

Kさん一家:東京八王子から。奥さん、息子と3人、キャンピングカーで。実は311以降最大の余震が起きた際、息子と二人で一度石巻へボランティアに来ていて夜テント内で余震を体験している。二度目の石巻。今回何日目か不明。金曜午前まで。

Sさん:石巻から。ボラセンから車で数十分の実家に。家は窓ガラスが割れた程度の被害。今春新社会人として入社予定だったが、311の影響で待機を余儀なくされている。何日目か不明。おそらく初日。

Yさん:横浜から。初日は後述するが作業には参加していない。車でやってきて、車中泊をしている。明日が初日。

Tさん:福岡から。車で静岡で一泊して石巻入り。年齢は60代〜70代。何日目か不明。

Sさん:福岡から。車でほぼノンストップ(SAで仮眠はあったと思う)で石巻入り。年齢は60代〜70代。元自衛官。

「いつまでいるか?」の問いに「やれるところまでやる」と元自衛官らしい男らしい答えに胸が熱くなる。こういった災害の支援にたびたび駆けつけているらしいが「中越地震だってみんなすぐ忘れちゃったでしょ?」と訴えていたのが印象的。何日目か不明。

Wさん:3日目から南三陸へ移動。年齢は60代後半。3.11は腰痛で入院中のベッドで遭遇。今回病み上がりながら使命感を持って北上。若い頃バックパッカーとして世界中飛び回っていたため、マシューとも英語でコミュニケーションをとっていた。今回のボランティア活動についてブログも書かれています。何日目か不明。

Kさん:Wさんと先輩後輩の関係。学生時代を経て、一時音信途絶えたが国内の森林調査の仕事を請け負った際、Wさんに声をかけ親交再び。このたびも二人で石巻入りし、のちに南三陸へ。何日目か不明。

Uさん:神奈川から。2日目から参加。数日後ボラセンの外で壮行会というか、ちょっとした宴会(当初は花見という口実だった)をした発起人でもある。後日プリントした写真を送ってくれることになっている。

自分:東京から。今日が初日。


他にもWさん/Kさんコンビがお風呂でスカウトした青年が1日手伝ったり、他の班の人がヘルプでやってきたりして、若干は流動的。

ある程度作業手順や気心が知れている固定メンバーで動いた方が個人の寄せ集めボランティアグループとしては当然やりやすく、機能しやすいわけで、一日の作業を終えると「明日もできる方いますか?」と班長が聞き、翌日の布陣を考える、という具合。

その日で帰る方が3人いれば、翌日朝3人以上集めるというわけ。

人数は班長がコントロールできる範囲内であれば多くて困ることはない(途中から班長は2班を見ていた)


沿岸地域に大日本製紙の工場があり、そこから流れ着いた白いパルプの量がはんぱなく、これとヘドロの混合物を基本二人一組、シャベルですくい、土嚢袋に詰め、捨てにいくという作業が中心だった。

Aさん宅の斜向いが公園だったようで(僕が行った際にはすでに3〜4メートルの高さの瓦礫が積まれており、公園だと分かるのはその頂上に立って、奥に見えるブランコを確認した時くらい。上へ上がれるようにビールケースが載っていたパレットや木の板で道ができていて、一輪車(通称ネコ)で一気に駆け上がり、捨てていく。何十回も往復する。下で軽く助走をつけて上り、上でもう一人が引っ張るというのが定番。上る作業はKさん一家の父、息子(18)が大活躍していたのを覚えている(一家と知るのは2日後くらいだったけど)

ただし、誰が何をと決められているわけではない。仕事じゃないんで各自自分判断で休憩しつつ、進めていく(とはいえ、日本人の特性か、ここ勝手に抜けたら流れ的にまずいなと全体を考え、多少きつくても我慢する傾向は大いに見られた)

黒いヘドロ層や白いパルプを捨てるのと並行し、流れてきた様々なものを捨てる。鉄柵のようなもの、ガラス、皿、ビデオテープ、いわゆるどこかの家にあった家財道具が流れ着いてきているため、どこの誰の持ち物かは分からない。車で引っ張らないと無理な巨木もあったりする。

泥の奥から何台もの携帯が出てきたり、多くのトロフィーを見た。車椅子もあった。

Aさん宅のお子さんの写真などが出てきたらキレイにして家の中に保存するようにしている。

僕らが直接Aさんのご家族の安否など軽々しく聞けないので、部屋の中のお子さんの習字などを見て心配していたが、のちに全員無事だと知り、安心した。

Aさん宅の子供が書いた「夢」という文字が額縁に入って、さきの公園に泥だらけで捨てられてあったので引っ張りだし、目立つところに置いて、自らを奮起させた。数日後誰かが下におろしていて違う目立つところに置かれていた。





マチューもかわいい人形を見つけるとあまり汚れない場所にわざわざ捨てたりしていた。

昼は原則個々が持参ではあるが、今日まで班長であるTさんが缶詰やおにぎり、パン、コーヒーなどを差し入れしてくれた。

これは班にもよるし、作業してるお宅の差し入れもあったりとその場になってみないと分からない。基本持参していくべきなのは間違いない。また、ボランティアの個々が食料(おかず)を提供したりもしている。僕は持参した除菌ウェットティッシュが喜ばれた。この日だったか、町内会長さんが石巻名産の「笹かま」を差し入れてくれた。

記憶が定かじゃないがこの日は初日にも関わらず雨だったはず(日にちと曜日の感覚はなくなっていく)。しかし持参したカッパは速攻破れ(薄いものは役に立たない)、数日ぶりに寒が戻った石巻はひどく寒いものの作業で湯気が出るほど汗をかき、初日としてはやや厳しい展開に見舞われた。思えば寝てないし(続・自業自得)

午後になって雨が若干強くなってきたため、30分ほど前倒しで作業終了になった(と思う)

風呂入れないだろうこととは覚悟していたが、この濡れた服のままはさすがに厳しい。

しかし車で30分ほど行ったところの道の駅に温泉があるという情報を得て、気分上がる(上がっていいのか!?)


話前後するが作業の格好。全員長靴。これは持参している人もいるが、支援物資から借りられるようになっている。ステンレスの中敷きはさすがにない。帽子かヘルメット(タオルを巻く程度の人もいる)ヘルメットも借りられる。

ゴム手袋(ヘドロを手ですくって土嚢袋に入れる作業は非常に多く、軍手じゃダメ)これも持参したが結局借りられ、毎日交換した。

上下は汚れていいもの。初日僕は履いていったジーンズでやったが、翌日から変えた。水を含んだ土嚢袋を持てばべったり水分付きの泥が付くのでそこは覚悟して、捨てていいものを持っていく方がいい。

マスク。完全に固定できるものがいいと思う。僕はドラッグストアで買ったものだったが鼻が出るくらいどんどんずり落ちて困った。泥のついたゴム手袋で頻繁にマスクを触るのもよろしくなく、フィットするのが必要だと感じた。マスクは支援物資から自由に使っていいものが入手できたがこれも同じで完全に固定はされない。

ゴーグルは泥がはねたり、雨降りの時は要注意なので必要だとは思うが間違いなくすぐ曇り、使い物にならない。持ってはいったがほんど使えなかった。曇らない処理が必要だろう。

あとはタオルと飲み物くらいか。

トイレは男(ションベン)は瓦礫に、という感じで最初はそうしていたが、民家の外壁とかは被災者に失礼な気がしたし、そこで亡くなっている方もいるだろうし、と抵抗も感じ、のちに女性陣と同じく近くの避難所へ行くことにした。歩いて10分程度の場所にあった。

Aさん宅より2つ、3つ、通りを海沿いに向かうとよりひどい状況がみえ、手を合わせた(初日は「伝える」という名目で合掌しながら数枚撮影したが、撮影自体葛藤があったのは事実。公開も迷ったが載せます)




ちなみにAさん宅を拠点とし、隣のMさん、その隣のIさん、裏手のKさんなどの作業を結果的に行ったが、Mさんの車はお隣Iさんの庭の奥の方、高さ2メートルあたりの瓦礫の上に乗っかっていた。後日重機が来て、Iさん宅のMさんの車を運んでいった。↓写真手前の木のパレットなんかも僕らボランティアが運んでいくものです。




一睡もせず、1日のハードな作業を終え、ずぶ濡れ状態ではあるが風呂云々よりまずは今日の寝床確保が喫緊の課題である。

この状態で仙台へバスで行くのもさすがにきつい。

作業を終えると一旦ボラセンに帰ってきて三々五々解散というわけだが、班の多くは道の駅にある温泉へ向かうようだった。

ボラセンの広大な敷地の一番奥に大学の体育館か、野球部の室内練習場なのか、大きな建物があり、支援物資などが置かれ、ピースボートが管理/運営していた。ただし、個人レベルではこのへんの情報がなく、ピースボートのボランティア用なのか、広く開放されているものなのかよく分からない。入り口には貸し出し可能なものとして「テント」の記載もある。

また、写真↓のように「もうこれらの物資は十分ですよ!」という情報もあったりする。このあたりはおそらくネット上にはなく、ここに来て、見て、知るという具合だ。




記憶がよみがえってきました。この時依然そこそこ強い雨が降ってました。

その「テント」を個人として借りられるのか分からなかったが、ダメもとで聞いてみた。

勘で一目置かれていると思われるピースボートのSさんという年配の方に聞いてみた。

「テントか。しかしこの雨の中、設営するの大変だぞ…。寝袋は?」と聞かれたんで正直持ってないことを告げると、この建物内の片隅を寝床スペースとして提供してくれるというミラクルをいただいた。

入り口(常に開いている)入ってすぐのところなので冷気もおかまいなく入ってくるし、本当に寒いけどここでよかったらと。

神様がいるような気がした(笑)神様、仏様、S様である。

「ちょっと待ってな」と言って寝袋を持ってきてくれ、そこがちょうど毛布貸し出しの場でもあったため、多くの支援物資としての毛布が積んであり、「そこにあるもん使って。寝袋だけじゃ寒いから下に敷いて、上にかけて」等の至れり尽くせりアドバイスもいただく。

明らかにピースボートの人間じゃないやつが普通に出入りしてるんで、のちのち不審がる人が続出したものの、「Sさんから許可いただき」というのが黄門様の印籠の役目を果たすことになる。

寝床確保で一気に視界が広がった気がした。

作業中この寝床の件や防寒着購入せねばなどを話していて、お風呂行くなら乗せていってくれるといってくれていたTさんに電話。

ちょうどお風呂上がったところなんで20分ほどでボラセン着くから、その足で買い物とお風呂行こうと。こっちは女神様やないか。女神様、仏様、T様である。

物流が生きてるのかまったく分からなかったが服が売ってそうな場所を目指した。

しかし風呂の入場締め切り時間は18:30。その時点であと1時間くらいだったので買い物できても何分かしか余裕がない状況。

頭の中で買うもののイメージトレーニング。

イトーヨーカドーとユニクロが隣接してオープンしている場所があり、しめたと突入。ユニクロ滞在時間5分目標という感じで(笑)

店内に入るも広さに打ちのめされすぐ見つからず、店員を見つけ「ダウンみたいなのありますか?」と。時期的に完全冬物はないが、一応内側がもこもこしたジャンパーを見つけゲット。ジーンズじゃまずいんで作業ズボンが欲しいがユニクロに作業ズボンはない。

どうせ捨てると思われるものなんで値のはるものも避けたい。スエットではないが、スエット生地のものにした。動きやすさ的にも大正解だった。それとパンツ、バスタオル(Tさん情報で温泉の貸し出しタオル借りるなら買った方が安いと)靴下、長袖Tシャツ(持ってはきてたが足らないと判断し)など計1万強を買い、キャッシャーで「すぐ使うんで適当に袋に入れちゃってください」と。すげえ分刻みな御曹司的な買い物をする。

初日いきなりカッパが破れたんで「カッパありますか?」と聞いたがさすがにユニクロにカッパはなかった(笑)

続いて隣のイトーヨーカドーに。入ってすぐバナナが目に入ったのでなぜか即ゲット。

カッパは見つからず、バナナだけを購入。車に戻って「バナナ食べる?」と聞いたらTさん腹ぺこらしく二人してバナナ食いながら温泉を目指した。そこから30〜40分、地図的には戻る感じである。

Tさんも僕同様お風呂に入れると思ってなかったが、入って浸かってたらなぜかニヤニヤしたらしい。

結果的には間に合った。


その間、Tさんは車の中でメールしてると待機。なんていい人なんだ…。申し訳なさすぎる。

そして温泉につかった僕はTさん同様ニヤニヤしていた。

出てから自分なりに分析して「あのニヤニヤは充実感じゃないかなあ。これから何食べようとか、明日どうしようとか、今日のあれはよくなかったとか、過去や未来を考えるゆとりがないというか、何も考えられない無みたいな状態で、ぼけーっとしている感じ」って話したかな。

Tさんは食料持ってきていると言っていたがこれだけ振り回したし、できれば晩飯おごりたいと思い、聞くと食料は特にダメになるものではなかったのでメシ屋探そうということになり、再度ユニクロがあった地点くらいまで探す。

お店は徐々にオープンしだしてはいるが、温泉と同様、通常時間より早く閉まっているため、なかなか見つからない。

当初道の駅にあるレストランにしようと思ったが、温泉の終了時間とともに閉店になっていた。

とある中華、ラーメン店を見つけ入る。メニューは限定のようだ。どうも中国の方がやっているお店のよう。

二人でラーメン類と餃子を食べたが量がやたら多く、すごくうまいんだが二人とも麺を残さざるを得なかった。ごめんなさい。對不起。

餃子はパックをもらい、包み、翌日昼にみんなに提供した。ボリュームあってうまかったなあの餃子。

なんと店を出たら大粒の雪!センターラインも見づらかった。


ものの何十分かですでに積もっている。車のフロントガラスに叩き付けられる雪の中、なんとかボラセンに戻り、ほどなくして就寝。たぶん22:00台だと思う。 初日から雪かよ....トホホである。


Tさんが腰にきくというシールと使い捨てカイロを3つくれた(カイロは持参してきたつもりだったが忘れてきたようだった。リュックの中「ウソだろ」と4回は探した)

Tさんは看護士という特性もあってか、カイロは首の後ろと両脇、血管の太い箇所にあてるといいとアドバイスまでくれた。

なぜか腰シールを張り忘れるんだが…(笑)

パンツ変え忘れたが特に気にもならない。

何十時間ぶりに即落ち。【続きを読む


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