石巻レポート(2011/4/18-23)

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4/21(木)

AM4時台起床。

喫煙所に大阪堺市から車で14時間、4人で今来たという方が現れた。どうも市議会議員関係のスタッフのようで供託金が出たんで来たとかなんとか。被害のひどいところを見たいと言っていた。僕も来る前は写真や報道でしか知らない一面何もなくなった町をどうせなら見ておきたいと思っていたが、この時点ではどうでもよくなっていた。写真も作業初日休憩時に若干撮らせてもらったが、作業後「被災者の気持ちを察して遠慮するよう、伝えたいということであれば然るべき申請なりして」といった注意喚起があり、ごもっともだと深く反省していた。

よく「戦争でもあったかのような」と形容されもする被災地だが、僕は今短い期間だけど“一家族”を襲った戦争跡と対峙し、その復興の一助となるべくやれることをやっている。そんな風に考えていた。

知ることは大事だが、森を見て木を見ずにならないよう、と感じていた。

木があって初めて森ができるのだ。


喫煙所ではオレンジの作業服を着た重機部隊が朝7時に出発し、8時にはすでに作業開始しているなどの情報を耳にする。

重機やそのたぐいのスキルは本当に必要とされている。例えば、僕らのような個人ボランティアが泥やゴミを一箇所に集めてもすぐその場所はいっぱいになる。それをどこかへ移動しないと次の作業に移れなくなる。出して、どかして、出して、これを延々とやらねばならない。

朝現場に到着すると昨日あったここの瓦礫全部キレイに持っていってくれてる!ってことが何度もあった。僕らが作業を終え、翌日また来るまでの間に処理されているわけだ。優先順位もあるだろうし、大変だと思う。

そういえば明日作業に参加するデービッドが感じたことが印象的だった。緊急で駆り出され、泥や瓦礫の処理に行ったお宅で捨てるところが見つからず(よそのお宅や町内に迷惑がかからない然るべき場所が、という意味)どうしようか話してた時のこと、彼は「外国人だったら自分が被災した上で他人に迷惑がかかるのを気にするなんてことはない。これは日本人の良い面でもあり、悪い面でもある」と。


さて、間借りさせていただいているピースボート管理の建物前で毎朝7:30にピースボートの朝礼が行われているんだが、点呼では33ものグループがその日あることを知る。1グループ10名はいると思うので1日300名以上でいろんな現場に行くのだろう。

のちに分かるが炊き出し専門班なども当然と言えば当然だがあり、昼から仕込みなどをする人もいる。

石ノ森萬画館をゴールデンウィークまでにオープンさせる」という使命があるらしく、士気をあげていた。

観光客向けでなく、地元の人に「あそこがもうオープン?すごい!」と感じてもらいたいという自治体サイドの意向のようだ。復興の第一歩の象徴のような存在なのかもしれない。

漫画家石ノ森章太郎氏が石巻出身でこの地に萬画館があるというのをここ数日で初めて知った。だからアカレンジャーや仮面ライダー、ロボコンやサイボーグ009があちこちにいるのだった。


その後、喫煙所でピースボートの人に石ノ森萬画館の状況を聞く。

ピースボート以外にもいろんな部隊が入っているがピースボートは現在50人体制ほど。

2Fへ向かうUFOみたいなスロープがあるがそこまで津波がきていて、ロボコンの顔がないとか、仮面ライダーの上半身がないとか、絵が濡れたんで乾かしている、などの情報を得る。

後日日和山という石巻市街を一望できる高台から石ノ森萬画館を見たが、そこは海に囲まれた中瀬になっていて、相当な被害だっただろうと改めて認識することとなる。

また、僕自身の予定では実作業3日間くらいを見込んでいたが諸々の事情を考慮して微妙に滞在をのばすことにし、ピースボートSさんに滞在延長の許可をとった。


今日の作業はまだ終わっていないAさん宅をしつつも隣のMさん宅を開始。

玄関の屋根が崩れ気味なのでヘルメット着用ということで、最初はかぶっていたがそこで作業する時間はわずかだったため、脱いだ。後にも先にもヘルメットをかぶったのはこの時だけだった。

Mさん宅の奥の部屋には「清水港(株)石巻工場」と印刷された2トンとも言われる何かの飼料がまるまる入っていた。

どうやったらそこに入るのか不思議だが、Aさん宅の庭から両家の間を通って入ったと思われる。

この手のものは当然だが重機が必要。この飼料の上にMさん宅のものではないと思われる畳が数枚あり、それを取り出す。水を吸った畳は重い。ご先祖様の遺影に見守られながらの作業。

Mさん宅内の別の部屋の10数枚の畳も男総動員で外へ出す。こういう時は違う作業をしていても声がかかり、一気にそこに集まる。その際、福岡から来ている60-70代のTさんが家の前の水たまり(もちろん泥水)に隠れている側溝(穴)に落ち、それを知らず自分も落ちた。膝下くらいだがあまり気持ちいいものではない。こっちで買ったユニクロのスウェット、これ1本しかないし、しまったと思う。その後畳でその穴を一時的にふさいだ。

それにしても海沿いに工場のあった大日本製紙から流れてきたパルプの除去は実に手強い。この日大日本製紙がこのパルプ回収のため下請け業者を派遣していたが、あの工場があったおかげで(ひどいはひどいだが)この程度の被害ですんだというむきもあるらしい。大日本製紙も多大な損害を被ってるだろうに、なんだか分からなくなる。

4/25、復興への決意を込めて大日本製紙石巻工場に「今こそ団結!!石巻」「Power of Nippon」と書かれた15メートルの特製鯉のぼりが工場煙突に掲揚されたとのこと。


夜はなにはなくともふたご湯へ。

入ったときは洗い場に数名しか並んでなかったが出る頃には20名近く。壁から壁に並んでいた。GWは入場制限するかも。

日中Tさんとハンバーガー食いたい話をしていて、マック(先日ユニクロに来た時に発見し、オープンしているのも確認済みだった)に行く。ふたご湯から30-40分のところ。

ふたご湯の最終受付が18:30。19:00くらいで閉まる店がまだ多いため、夜は時間との争いになる。

Tさんもカップ麺など持参でなんとかなるが、開いているなら地元にお金を落とす意味もあり、外で食べようとここ数日なっている。

マックは幸い営業していたが、カーテンが下ろされ店内は見えず、ドライブスルーのみ営業していた。

「クォーターパウンダーチーズのセットで….」と声を張ってみたが限定メニューで営業しているようで扱ってなく、ビッグマックのセットを。

どこで食うかという話になり、やはり車内ではなく、暖かく落ち着けるところへ行こうと再びふたご湯のある道の駅の休憩所へ。

ほぼ食べ終わったころ、休憩所を閉めるという係の人がやってきた。道の駅も通常時間では動いていない。

ちなみに濡れたズボンをお風呂のドライヤーで乾かそうと目論んでいたが、さすがに無理だった。時間的にも風力的にも。


そういえばマチューが庭師なこともあり、Aさん宅庭の木のゴミをとったあと水をかけたり、入り口付近をホースを使って洗い流しきれいにしていたがまだ下水が機能していないこともあり、途中で注意をうけていた(笑)。僕は下水って英語で何だっけなあとか考えていた(いまだに調べていない)


いつものごとくおそらく22時台就寝。

昼時ちょっとツイッターやろうと思っても電波が悪くできず、結局現場に行っている間は一切できなかった。それでいいんだろう。また、電池節約のため日中はまめに電源を落としていた。

この頃帰りの深夜バスの仮予約を何パターンかしたりしていた。まだいつどういう形で帰るか決定していない。

ちなみに今日は今回の作業期間中唯一晴れていた。

朝到着して瓦礫の山に登ると大量のハエが発生していた。暑くなってくるとこういう問題も出てくる。昨日かな、ここから白い煙が出ていると住民からの通報があり、消防関係の人が来ていたがおそらく肥料か何かが化学反応を起こし、煙を発生させていたのではないだろうか。



作業している町内を回ってみるとここがこれだけやられているのに、隣のここはこれですんでるとか、そういう不思議な印象を受ける。

この頃、素人ながら仮にこの場所で再興するなら海岸線の防波堤などの強化は行った上で、もし万一津波が侵入した場合の流れを予想し、流れを逃がして最小限の被害に抑えられるような区画整理ができるならいいんだろうと思っていたりした。

もちろん津波が入ってくることを想定した町づくりじゃダメだろうが。

高台に町全体を再興するという案もあるらしい。


←町を見るとこんな感じで営業再開する店が出てきている。

作業している近辺にある3軒ほどのコンビニはすべて閉じているが、再開に向け業者が入っている。【続きを読む


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