石巻レポート(2011/4/18-23)
4/22(金)
AM4:30か5:00あたり起床
長崎から車で来た人がみんなに落書きをさせていたんで便乗してロボコン書いたりした。
3.11を受け、自国イギリスで「Helping Hands for Japan」というNPOを立ち上げたデービッドがこの日一緒に作業することに。
彼はボランティア作業しがてら調査をし、どういう支援をどういう形でしていくのが望ましいか探るべく参加した。
奥さんは日本人である。
いつものようにAM8:30に受付をすませ、車に乗り込む。
この頃Aさんの配慮でこの班の基地のようにAさん宅が使われ、すでにAさん宅がメインの作業場でなくても荷物/道具置き場や昼時のスペースとして使わせてもらっていた。
↑Aさん宅は両脇くらいを残して、ほぼ終わっている。
すげえキレイになった状態なんだけど、伝わらないかな(笑)
Aさん宅がどうか分からないが、僕らはボランティアが入って片付けられていく家は時間はかかるものの再びご家族が住むことになるという思いで少なからずやっていたが、そう単純ではなく、売りに出すという話も聞いた。たしかに町づくりの青写真が見えないと住むという決断なんて下しようがないですしね。複雑な気持ちにはなりましたが、今は被災されている方々が必要とされることを懸命にお手伝いするしかありません。
この画像はiPhoneで見たAさん宅付近のGoogle Map。
黄色で囲んだ青い屋根がAさん宅である。左がMさん宅。一番左の画像の右下がゴミや瓦礫が一時的に積まれている公園。画像ではまだ多くのゴミ、瓦礫があるので僕らが作業する前に撮影されたものだろう。一番右の画像の下のグリーンの部分が海である。
後で分かるが今日が金曜ということもあってか、この班の多くが今日を最終日と考えている。
女性チームの多くはAさん、Mさん宅の両サイドの泥やゴミを処理。他は裏のKさん宅を
僕は数日前こちらで買ったスティックパンを朝、昼1本づつかじっていた。夜ガッツリ食ってるから意外に大丈夫だった。昼はAさん宅に何かしら残ってるもんもあったし。
東京駅で行きに買ったおにぎりは食料調達の困難を危惧し、残しているうちにとうに賞味期限を越え、もったいないが捨てることになった。
Kさん宅の庭は泥水が相当たまっていて、一度ポンプで水をどこかに出したあと、いつもの泥を土嚢袋に入れ、捨てるという作業を繰り返した。みんなやってなかったけど、僕は肩に担ぐのが負担が少ないと思ってたんでよくそうしてたんだけど、水分の多い土嚢は肩に担いで歩くと服を通して冷たい水分が入ってくるので気をつけた方がいいです。(→ 1日経過してすでに作業を終えたKさん宅庭の写真)
↑たまたま捨て場となっている箇所で土嚢捨ててる場面をいつの間にかデービッドが撮ってました(笑)
英文ではありますが、この日のレポートもあがっています。昼間みんなに軽くインタビューした動画があったんだけどあれはお蔵入りかな。
ぱっと見左に見えるお宅はキレイな感じでしょう。Kさん宅は道挟んだ手前なんだけど全然被害の度合いが違います。
あと、家庭菜園かなにかに使う20キロくらいの肥料の袋。あれも結構厄介です。中には穴があいてドロドロした中身が出ているものもあり、重くてぐちょぐちょで扱いにくいゴミのひとつです。
夕方班長Sさんがどこからかヘルプを聞きつけ「床板剥がし経験者いますか?」とやってきた。
特に経験者がいないので立候補して行ってみる。数軒先だ。
金槌(なぐり)とバールで指導を受け、床板剥がしを手伝う。水を吸っている木なのでうまくいかないケースも多いが、翌日から週末に入り人が来ると思うんで床板剥がしておけばその下のヘドロかきだしは初心者でもできるということで急ピッチで進められた。僕だって数日前は初心者だったわけだが、たしかに2-3日継続してやった人間と初作業の人間ではやれる(頼める?)作業が変わってくる。
久々に金槌を使ったが、たまに振り下ろした先が自分の左手人差し指となり、激痛と戦った(笑)
途中休憩が入り、奥さんが飲み物を差し入れしてくれ、ご主人があの時の壮絶な救出劇を語ってくれた。
津波が来た時、ご夫婦は在宅で二階に上がり危険を感じ、(僕の記憶ではお隣の)雨どいに手をかけ、二人してぶら下がった状態になった。
水がどんどん上がってきて首まで達し、いよいよまずいと上へなんとか上がり、他の家の屋根などをつたって逃れたという。
水が引いて避難所から戻ると家の玄関ドアの横に縦になった車があり、その下に見知らぬ方の亡骸。向かって左奥のブロック塀のところにも別の亡骸があったという。
この町内でも何人か亡くなったとのこと。
床板はがしが3/4ほど終わった段階で班長Sさんから連絡があり、Aさん宅へ集まり、その日の作業の終了が言い渡された。僕自身も今日で最後だ。
ボランティア作業者は高速道路が無料になるという話があちこちから聞こえていたが、出発前の最寄りの役所での届け出が必要だとか、石巻市役所に届け出ればいいとか情報が錯綜。同乗の2人が該当するので帰りに市役所に寄る。おそらく以前デパートだったのでは?と思わせるピンクの建物(画像)で地上4Fの駐車場がある。市役所の防災課の方が当時この駐車場から津波の状況、避難勧告をツイッターで随時流していたのをテレビでやっていたのを思い出す。
災害なんとか課に問い合わせたが今度はボランティアをしたという証明が必要だということで届け出は受け入れられなかった。
ボラセンに戻った時、偶然にもマチューとTさん(男)の2人組に会い、握手をして別れる。一緒に作業してるメンバーとはなぜかボラセン内ではほぼ出くわさなかった。これが唯一かな、不思議だけど。
その後ふたご湯へTさん(女)に乗せてもらい向かう(ここ数日一緒にふたご湯へ行っていたYさんは車でビスを踏んだらしくスタンドへ向かった)
ふたご湯内の休憩所で石巻入りして初めてテレビを見る。再興案などをやっていた。
また、明日から再開となる松島水族館マリンピアのニュースもやっていた。
石巻最後の晩メシを食べるべく再びTさんの車で移動。いつもと違う方面へ行き、リーズナブルなファミレスのようなレストランで食べる。
帰る手段、日にちが確定していなかったがこの段階ではTさんのご厚意に甘える形の帰京になることが確定していた。
22:00台就寝。
明日はここを朝7時に出発の予定。【続きを読む】