石巻再びレポート(2011/6/5-10)
6/7(火)
テントに夜露があったくらいで昨日ほど暑くなく起床。6:00。 一番近い喫煙所(3箇所のうちの1つ)に医療班であるWorld Fusion Disaster Reliefのどでかいトレーラーがあって、ここでボランティア用の炊き出しもやってくれているんだが、そこにいる医療班の女性Nさんと話す。 昨夜の炊き出しはパエリアっぽい(ややおじやチック)のとサムゲタンだったとか。周りにピースボートの人が多いのでピースボートの炊き出しだとずっと勘違いしていたが、誰でもOKだと知る。しもうた(笑) 朝メシは東京から持参のレーズンロール2個。 iPhone充電中、2人の方と話す。 1人は*地元の住民とともに*側溝のヘドロかきだしがやりたいという長身イケメン青年(推定20代)。彼とは滞在中何度も偶然会って話した。 昨日女川で当時中国人研修生を助け、自らは犠牲になってしまった旦那さんを持つ水産加工業者のお母さんと会い、30〜40分話したという。「カレー食べてって!」と言われたが時間の都合で遠慮したことを「食べときゃよかった」と。後でお香典送りたいといった話なども。お金じゃないよとかとか。 もう1人。福岡で絵を書いている似顔絵職人Rさん(推定30代) 避難所を単独で回って似顔絵を書き、それを持ったご本人の写真を何枚も見せてもらった。1人10分そこらで書いてしまうらしい。さすが本職、うまい。そしてどの写真も笑顔が素敵だ。 あれから3ヶ月、この手の娯楽部隊も必要な時期じゃないかといった話を。 彼は今日が3日目で1週間滞在の予定。会社には1ヶ月の申請をしたがさすがに無理だったと。 8:30すぎ。 ボラセンを出発し、昨日の続きのKSさん宅と、斜めとなりのKYさん宅の泥だし、床板はがし。人員:10数名ほど(途中から大阪からの美容師部隊10数名加わる)
途中から島根ボランティア隊20名ほどが目の前の側溝のヘドロかきだしをやっていた。半数くらいいるんじゃ?というくらい女性率が高かった。側溝内は風が通らないので乾燥することなく、ニオイの強烈なほぼ水分状態のヘドロがまんま残っていて、この作業は実に過酷なのだ。なぜかリュックを背負ったまま作業する人が結構いた。
奥のオレンジの前掛けみたいな(ゼッケンみたいな、なんて言うの?)を着ている人たちが島根ボランティア隊のみなさん。奥が海側。 上の写真のすぐ右隣の畑。奥が海側。(左)4月後半(右)6月前半 上の写真を時計周りに90度した畑の手前の道。たまたま似たような場所を撮ったけど比較って頭がなかったんで撮影場所、アングルに統一感ないですがご了承を。(左)4月後半(右)6月前半。 朝途中からKSさん宅の泥だしを手伝ってくれた大阪からの美容師部隊10数名。 同じ店舗の同僚とかでなく、協会なのか横つながりなのか、募って1台のバスで大阪から弾丸ツアーでやって来ていた。 月曜夜大阪を出て、今日火曜朝着いて活動して、午後2:30のバスで大阪に戻る。まさに弾丸! おそらく1日の休日をここに割いてくれたんだと思う。半数ほどは女性で、きつい作業にも惜しみなく力を貸してくれた。もちろん長期やってる人は素晴らしい。でもたった週1日の自分の休日(オレ想像)を長旅して汗してくれる気持ちが本当にうれしいし、素敵だなと思う。彼らが帰る際なんか分からんけど全員写真とか撮ってたな(笑)誰か送ってー! 熊本から高速バスで京都を経由してやってきた青年Nさん(推定20代)はすでに石巻入りして3週間。遠いんで一度来たらできるだけいようと。みんな事情が違うとはいえ真似できん、すごいな。 昨日買った2Lのアクエリアスと水ばっかガブガブ飲むからか、食欲はまったくわかない。昼は持参のレーズンロール1個を水で流し込んだ。目の前の側溝のヘドロ臭が風に乗ってランチな僕らを直撃していた。 どこかの隊が別の場所の側溝のヘドロだしをやって、蓋をせず行ってしまったというので駆けつける。さきも書いたがヘドロの水分感がはんぱじゃないんで一輪車で運ぶのもこぼれそうで一苦労する。
ここの側溝のヘドロ出しと蓋しめ作業を。上記畑前の道と同じ道。 午後3:00すぎ作業終了。ボラセンへ。 前後するが、朝現場へ向かう車内で愛知津島から来ているTさん(推定30-40代)と話した。 お互いが昨夜のカホン、ギター、歌を聞いていたから「21時すぎには終わってくれたんでまぁよかった」(たしか音出すのは22時くらいまではOKだった気がする)と話していたら、Tさんが「あれが終わってからも他のテントで夜遅くまでうるさかったんですよ〜。場所によるんですね〜」と言っていて、寝不足になったら大変だもんな、場所も大事だな、などと思っていたんだが、テントに戻ったら偶然Tさんとバッタリ。なんと僕の隣のテントだった、というまさかのオチ(笑) 受付におにぎりがあり、いただく。こういう差し入れ(?)は特にアナウンスされるわけでもなく、常にあるわけではないんで偶然出会った時は本当にありがたい。 すべて手書きで「おつかれさま」とあるんだが、どこの誰からなんだろう。こちらこそありがとう! (4月時点はなかったが)ボランティアへ自転車レンタルをしているという話を聞きつけ、聞いてみると午後5:00まで借りられるという。 ちょっと返却時間が早いが管理する人たちのことを考えると無茶も言えまい。買い出しもできるし、これは助かる。規模は縮小してるけどボラセンも進化している。 4月には開いてなかったCOOP(生協)が再開していて、とりあえず車なしでも飲食物確保はなんとかなります。今後公共機関を使って行かれる方には朗報でしょう。 レンタル自転車でのんびり15分弱。パン、だし巻き玉子、バナナを買う。まだ完全再開ではないんで什器も仮のものだったりする。ちなみに店内に冷えた飲み物はなかった。 自衛隊が不定期ながらCOOPの駐車場だかでお風呂を提供しているとの風の噂を耳にし、ダメもとでバスタオルを持参した。結果そこではやってなく、のちに違う場所だったことを知る。 避難されてた方を思うと数日風呂入れない程度なんてことはないのだが、この暑さと汗だくでバテ感が4月とだいぶ違うように感じていた。 COOPの帰り、大学の裏側を回ってみた。石巻商業高校裏手ががれきの仮集積場になっているのは車から見ていたが、自転車で回ると意外な発見があった。
がれきいっぱい ↑ぬいぐるみばかりが集められたエリア。 これは徒歩や自転車じゃないと目に触れない場所にある。 ここに到着してここの方が分別したんだろう。表現が正しくないかもしれないが感動した。僕ら泥だしの際にも見つけたらぬいぐるみなんかを他のゴミと一線を画すよう離れたところに置いたりするが、気持ちはみんな一緒なんだなと。 ボラセンに戻り、iPhone充電中大阪から単独で来ていた女性(推定20-30代)と話す。 4月時の僕とかぶる行動をしていてちょっと面白かった。 今日は旧市役所内で写真の復元作業をしたという彼女。地元の女子高生がムードメーカーだったとか。町を一軒一軒周り、写真を預かり、キレイにして戻すというもの。 彼女は大阪から高速バスで石巻へ来た。まず、日和山を見て地元の人と話をし、ボラセンの場所確認のため大学へ歩いて1時間ほど。「よし、ここだ。分かった」とまた徒歩で1時間引き返し、石巻駅付近で宿探し(今かよ!!!w) 宿がとれず(!)、仕方なく大学へまた1時間かけ向かうが途中自衛隊がお風呂をやっていたので入る(ノンキかよ!!w) 午後8時頃再び大学へ。この頃彼女は「野宿だな」と覚悟決めていたようで、競技用トラック内にあるベンチ(←)で寝ようとした。しかし寒くてまったく寝れなかった(分かるよ、分かる...) 0時か午前1時あたり、ある男性が声をかけてきて、その方は車で来ていてテントで寝ているんで車を寝床に使ってと手を差し伸べ、一件落着。 似たような経験を4月にしている僕ですが男性女性でだいぶ違いますしね、女性はさすがに危ないので計画的にお願いします(笑) さきのがれき集積場のぬいぐるみの写真に「あ〜鳥肌が...」と。 別れ際、「貴重なお話ありがとう」と握手を求められたのが印象に残っている。お互い様なんだけどね。彼女とはこれっきりだったな。いいんです、一期一会なんですよ。 夕食はさきほどボラセン受付でもらったおにぎり2個とたくわん、COOPで買っただし巻き玉子。久々に食った!という感じ。 手書きの「本当に本当に」の繰り返しになんかちょっとウルっときた。テントがグリーンなんでアレですが。
「午後8時から炊き出しやりまーす」とアナウンス(拡声器持ってわざわざ歩いて告知してまわってくれていた)があり、すでに今日はガッツリ食ったんでいいや、と思いつつ炊き出し場所でもある喫煙所に。 そこで1人の男性(52歳)が話しかけてきた。 松尾芭蕉フリークで芭蕉が晩年やった「奥の細道」を自分もいつかやりたいと思い続け、元は東京在住だったが長野へ引っ越しし3年足腰強化を図った。 そして大震災。このタイミングしかないと一念発起し、周りが止めるのを振り切り東京を歩き出した。テントを担いでひたすら東北を歩いて回ってくるという旅だ。 テント張れない場合は野宿だという。不思議な人が多いなと思うけど、そういう人は結構いますね。むしろそういう人ばっかりなのかもしれません(笑) 福島については芭蕉自身現在避難区域とされるエリアは通っておらず、再現できるとのこと。たどり着いて石巻。ここに一週間滞在している。常に冷たいものしか口にしていないのでこの炊き出しのあたたかいご飯に助けられていると。ちなみにボランティア活動をしているかまで聞いていない(笑) 実は先週の台風(関東上陸せず、温帯低気圧に変わったやつ)の影響で彼のテントは破られ、フレームもぶっ壊され、テントの体をなしていないらしい。 そのとき、わずか数名のみテントに残ったがほとんどが緊急措置ということで建物内で寝ることを許可され、避難していたらしい。ap bankのテント以外のほとんどのテントが吹っ飛ばされたとのこと。 彼はここで知り合ったもう1人のテントを間借りしているのか、その世話になっている方分含め炊き出しに向かい、話はそこで突然終わってしまった。 秋田、青森、そして日本海側を通って「奥の細道」を完結すると言っていた。ちなみに俳句を詠んでるかは不明(笑) なんでも芭蕉は5ヶ月半かかったって言ってたかな、彼は半年はかかりそうと言っていた。人生50年の時代、芭蕉がそれをやったのは46歳だったという。 その話をタバコ吸いながら聞いていた1人の青年が「芭蕉は忍者なんでそりゃ速いっすよ」と投げるように言っていた。何その物識り感。 今夜はここ2日と違い、夜はちょい冷えた。風もあるし、さらに寒くなるかも。 午後10時前には就寝。 疲れてはいるが、前回のように即寝落ちしないのは「風呂なんだろうな」と感じていた。明日入れるといいな。 どこかの段階で前回に比べ、足取り重たいな。と思って長靴から試しにステンレスの中敷きを取って歩いてみたら軽い軽い。中敷きは大リーグボール養成なんとかかと....(笑)【続きを読む】 |