石巻再びレポート(2011/6/5-10)
6/8(水)
朝5:30頃起床。 喫煙所でたびたび会う医療班補助(自称雑用)のNさんにエクセルやワードできるなら事務やってほしいと軽く打診を受ける。炊き出し、泥だし、やることはいろいろあって、どれ1つ不要な作業はない。たしかにね。 また、推定60代のピースボートの男性と話す。先週は奥さんがボランティアに来ていて台風にあったと(テント飛ばされたやつだ)。長野諏訪湖の麓在住のご夫婦。中越地震などの影響で土砂崩れなど地元も被害があるという。この方はペルー地震でも現地へ駆けつけたらしい。すでにお孫さん4人のじーちゃん。 大学内、いる場所は大概決まっている、(1)テント(2)医療班トレーラー近くの喫煙所(前回寝床を提供してくれた資材庫前)(3)ボラセン受付付近(唯一携帯が充電でき、喫煙所もある)それぞれそこそこ距離はあるが、この3箇所は頻繁に行っている。テントは寝にいくようなものでした。 受付付近で昨日も会った似顔絵のRさんと再び会い、話す。 4月、車で20分ほど毎晩通ったあのふたご湯まで1時間歩いたとか。いやいや、1時間で本当に着いたのかな、すごいな。この3日間で50名ほどの似顔絵を書いたとのこと。ふたご湯への道中で会った方にも声をかけ、書いたりしている。Rさんの醸し出す癒しキャラに地元の人も心許してくれているんだと思う。幼稚園で許可とろうとして断られたりとか、そういう話もあったようだけど。 津波で亡くなった3兄弟の写メをもとに似顔絵を書いてご両親に渡した話。写真はそれしか残っていなかったというが、縦構図に3人の最高の笑顔がそこにあった。 彼は事前に行政機関だかと連絡をとって、OKな避難所などを訪れているがここ石巻現地では完全に単独で動いている。明日は仙台に行き、仙台の避難所を廻るようだ。 いる間に100人は書きたいと話していたが、数じゃないですよ、という話も。 福岡は体感としての衝撃がないからどうしても温度差があるが、もっとみんなに現状を伝えて架け橋のような存在になれれば、いや、ならなきゃいけない、もっとみんな現地に来なきゃいけないと熱く語っていました。 朝メシは東京から持参のチョコスティック(どんだけもつんじゃいw)もうカバンの中でくしゃくしゃに潰され、パッサパサだけど(笑) それとバナナ1本と昨日作業しているお宅のKYさんにいただいた栄養ドリンク。 昨日COOPで買ったおにぎりは賞味期限が切れ(それだけならいいが)テント内の熱気がすごいのでなくなく廃棄に。なぜ昨日買った....。
しかしテント周りに咲いているタンポポ。咲いているのはテントサイト全体のうちごく一部で、その一部が自分のテント周りにあってなんかうれしい。 テント張った時日暮れ間近で咲いてなかったんで、朝起きて奇跡かとホント思った(笑)つーか、この年にしてタンポポは夜しぼんでるとか初めて知ったんですけど(涙) 医療班のNさんと話す。長くいるので全体の状況も裏事情も熟知しているのでいろいろな情報を聞くことができる。書ける範囲内でその一部を。 例えば大工的な仕事があって、見積もりが出て、とある団体が「やります」と手を挙げたが、その後「そうは言ってない」と水掛け論になり、すでに1ヶ月放置状態だとか。 すでに書いた側溝を地元の人とともにキレイにしたいというイケメン青年の話にも通じるが、悲しいかな、作業の中には有償(仕事)と無償(ボランティア)が存在する。彼は仕事としてやりたくないが、例えば、ある側溝をどこかの業者が対価を得て請け負っている中、すぐ隣で同じことをボランティアだけでというのは腑に落ちない、と。もちろん対価を得たいわけではない。彼の考えでは、そこの家の人が1人でも少しでも一緒に汗を流し、やれないかというもの。自治体レベルでは*いつかは*やってくれる。でも側溝は衛生上早く手をつけるべき。被災者が自腹を切って業者に頼むようなことは避けねばならない。だからボランティアの出番となる。ただ側溝というのはつながっているんで誰かのお宅の前だけやればいいというものでもない。長く滞在しているボランティアの人含め複数人と話したが、被災された方のちょっとした手伝いとともにボランティアがあるエリアの側溝を一度クリーンにすれば、それが前例となって隣のエリアでも...またその隣のエリアでも...と最終的に町全体の側溝を復旧させるというのが理想だ。 その考え自体に当然賛否はあるだろう。でも根底にある思いはみな同じだし、いろんな考え方がある。泥だしに地元青年も積極的に参加してるし、他力本願でなく自分の力も復興に生かしたい/生かすべきと考える現地の人もいるだろう。 ただ、忘れてならないのは地元の、いろいろなものを失った方達にとって何がベストか、それを最優先に考えた上で、失ってない者ができることをするのは言うまでもない。 一緒に作業した地元石巻在住のYさん(推定20代前半)は非常に寡黙ながら黙々と力仕事に精を出す気持ちいい青年だった。彼はいつからか聞いてないが平日は全部ボランティアに費やしている。休憩もあまりとらない。なかなか機会がなかったがもっといろいろ話してみたかったな。 8:30すぎ、ボラセン出発。 宿を仙台にとり、渋滞を避け、朝5:30に仙台を出て石巻に通っている大阪からのSさん(普段は電線工事等に従事)運転で軽トラの荷台に3人乗り、現場へ。行きも帰りもだが、どうしても時間的に大渋滞。 着いて早々二班に分かれ(1チームなので仕事具合で割り振りは流動的)KYさん宅の床板はがしと、昨日から続いているKSさん宅の床板はがし。 1階に津波が来ていると床下に泥、ヘドロがたまるんで床板はがして泥を出すという流れになる。泥だしだけであればまったく慣れていないボランティア初日の人でもできるので慣れている人がいる間に床板を外すという、やや専門的な作業を主にバールを使って行う。剥がした板の釘を抜いたり、つぶしたりして踏んでケガしないような処理も。断熱材は蹴るなどして下へ落とし、泥同様運んで捨てる。
例えばこんな具合。2階は無傷なエリア。前回は床下の泥を土嚢袋に詰めたが今回はバケツなどに入れ、一輪車に移し捨てにいくという手順をとった。 床板といっても家によって一様ではない。断熱材の質も違えば、構造も違い、一言で言えば「お金がかかっている家ほど作業がしんどい」のだ。床板はバールのみで剥がすことも多いが、水を吸って厳しい状態だったり、構造上難しい際どうしても電動丸のこ(刃が丸いやつ)が必要になる。 KYさん宅には電気が来ているが、KSさん宅には来ていない。ほぼ隣に位置しているのにそういう状況である。 そこでKYさん宅から20メートル、50メートルの2つの延長コードをつなぎ、KSさん宅内で電動丸のこを使う。たまにボランティアの中に大工さんなど本職の方がいて、さくっとやってくれる場合もあるが常にそういうわけにいかず、電動丸のこなど使ったことない(自分も含め)ボランティアがやるわけだが、何かあった際の責任の所在が曖昧なため翌日班長になった時は気を遣った。使わないと効率がガクンと落ちるし(というかなきゃ無理!というケースしばしば)、こういう作業を進んでやりたい者もいるが、危険は危険。 また、浸水の影響で腐りかけている板は少しづつ割りながら取り除くということもある。 途中KYさんご夫婦が冷たいお茶の差し入れを下さり、助かった。 昼、相変わらず食欲はわかない。 COOPで買ったレーズンパンを目をつぶりながら一口、二口...。限界(笑) パサパサして飲み込めないのを水で流し込む。 東京から持参したウィダーインゼリーを。これはいい。たくさん買っておけばよかったかも。 昼休み後全員一気にではないが、KY、KSさん両お宅のメドがつき、別のお宅へ向かう。 4月にやったAさん宅の斜向い、Mさん宅。 ■が4月に作業したA/M/Iさん宅。■が今回作業したKS/KYさん宅(KSさん宅は途中から)■がこれから作業する(ことになる)M/Tさん宅。どこも歩いてすぐの距離。2ヶ月経過してもこういう状況というのが現実(もちろん他エリアすべてがこうとは限らないが) 中央下部分の広い土部分がさきの写真の畑です。 写真はGoogle Map(iPhone)ですが今現在まだ最新に更新されておらず、おそらく3月のどこかの時点のものが提供されているようです。 駆けつけたMさん宅。外からは大した被害に見えないが、中は凄まじい。ヘドロが水分状態を保持したまましこたまあり、それを外へ。倒れていた冷蔵庫には311時にあったままの中身が3ヶ月前と同じように収納されている。意外にほとんどは異臭を放つこともなく、そこに閉じ込められていた。中身を全部出し、冷蔵庫も出す。 庭には大日本製紙からのパルプのかたまり(1.xメートル四方くらい)がドスンといくつか流れてきている。珍しくないらしいが、大きい形のまま流れてきたのを見たのは初めてかも。 ゴミやがれきの廃棄場所はMさん宅の隣の元公園だった場所、4月時数メートルの山だった場所ですがここに姫路市の職員さんが連日来てゴミの撤去をやってくれていました。パルプのみ入った土嚢は一輪車から直接清掃車に突っ込みましたね。 記事によると5/23から1ヶ月間活動されるようです。 Mさん宅、今日は家の中の家財道具やヘドロ出し中心だったため、庭のほとんどは明日の作業となる。どこかの自動車工場の方たち5名が先に入りやってくれていて(僕らがKS/KYさん宅をやっていた頃)翌日も参加予定だったが翌日集合場所に彼らは現れなかった(涙) 長期石巻に残っているSさんはリーダー(7月で一旦卒業らしい)という役割で、直接作業もするが主にはボラセン、社協、町内会長さんら、そして現場の班長と住民の依頼やスケジュール、人員割当の調整などを行う。この自動車工場の5名も彼女がやり取りしてどこからか連れてきた。 今日まで班長(現場仕切りのような役割、どこかの団体に属しているわけでなく、1ボランティア)だったMさんが一旦帰るため、明日が最終日の僕が班長を任されることに...。 2日間一緒に作業したのかな、厚木から車で2人(同僚)で来た青年(推定20代)がその足で帰って明日から普通に出勤とのこと。来る時は夜中だったから飛ばして5時間強で来たとか。しんどい1日だったので事故らないことを願った。深夜厚木着だろう。 もう1人荷台で一緒だったのは湯河原から来たUさん。60代前半。大船渡で多くの写真を撮っていて見せてくれた。 そういえば前回今回同じとあるエリアをやっていて、トイレは避難所だった小学校の仮設を使っていたんだが、昨日まで使えていたのに今日は全部「使用禁止」になっていた。小学校も再開しているし避難所もなくなったのかな。しかしトイレ確保しておかないと特に女性は厳しい。今回いろいろ話してると汗で出る分、意外に大丈夫なケースが多いようだけど自然現象だからね。もちろん作業しているお宅で貸してもらえるケースはある(水が出ないお宅もあるのでそれも家による)今回はKSさん宅の2階のトイレを貸していただけた。 午後4:30ボラセン着。 受付でおにぎり1個とあたたかいコーヒーもらう。日中は暑いんで冷たいものが欲しいがメシ含めずっと冷たいものしか腹に入れてないんでこのコーヒーはなんかホッとした。 今日こそは!自転車レンタルでふたご湯挑戦するか、と思っていたが時間的に無理だろうと断念。日、月、火、水、たった4日とはいえ、これだけ風呂に入らなかったのは人生初だ。 2Lアクエリアスがほぼないのでやばいと思ったが、構内の自販機で500mlのとコーヒーをゲット。よし乗り切れる。 夕メシ、なかった食欲がなんとなく出てきて、昼の二口しか食えなかったレーズンパンをがむしゃらに食べ、受付でもらったおにぎり(梅)を食う。 十分満足だったが午後8時の炊き出しアナウンスが聞こえてきたんで駆けつける。 あたたかい白米に何種類かのふりかけ的な総菜を乗せ、いただく。 iPhone充電時、三たび似顔絵のRさんと会い、話す。 ふたご湯で似顔絵を書いたご家族の話など聞く。 すでに5月末に大学が再開していて、以前テントがあった競技トラックも陸上部が走っていて横切るのをためらっていたが、Rさんは「ごめんなさい、横切らせてくださーい!」と声をかけ「どうぞどうぞ」と反応があったんで声かければいいといった話なんかも。 それぞれの種目でそれぞれ目標があり、学校再開してその目標に集中したいところ僕らのようなボランティアが視界に入るとそのやる気を削いでしまうんでは?と懸念していたが、たぶんそれもひっくるめて受け入れてくれるんだろうとRさんの話を聞きながら思っていた。 午後10時くらい就寝。 初日作業終わったあたりで4月に一緒にボランティアをした方々にメールし、返信が来ていました。 Kさん「気仙沼はボランティアの数が少ないと聞きました。石巻はまだ力仕事ありますか?あと1回行けそうなんで情報ください」と。情報を集め(しれてますが)後日返信。 Tさん「あのMさんの庭にトマトが!...私もまた行きたいなあ」等々 Uさん「昨日まで福島相馬市でビニールハウスの泥だしをしてました!」おお! 新卒で入社決まっていながら311で待機になっていてボランティアをしていた地元のSさん「今福井県の建設会社で働いています」おお! Wさんは昨日から腰痛で入院、10日に手術という状況の中「蚊帳いりませんか?ネット探しましょうか?」と... 涙。 【続きを読む】 |