石巻再びレポート(2011/6/5-10)
6/9(木)
水分摂り過ぎかトイレ行きたくて朝3時目覚めるも我慢。...限界とばかり4:30頃トイレへ。再び寝て6時起床。どうでもいいなこの話(笑) 朝、東京から持参の(まだあるのか!?)残りのチョコチップスナックと熟し過ぎくらいドロドロしたバナナ最後の1本。 残るは昼メシ用にCOOPで買ったパン1個。 結局4月と同様持参のカロリーメイト等の非常食は最後まで手つかずだった。今回は特にパサパサしたものは受け付けなかったな。 一応1日班長なので8:30前に受付に一番乗り(いつも一番最後くらいだけど...) ボランティアに来る日も帰る日もみな違うし、継続して同じメンバーでやる期間もまちまちなんで顔は分かっても名前を覚えられないケースが多い。そのため手帳に「名前/どこからか/何日目か/いつまでか」をざっくり聞いてメモした。 残念ながら前述の通り、来る予定だった自動車工場の5人の姿が見えず残念。仕事じゃないんでね。連絡先も分からないままが多いですし、そこは臨機応変に。 今日は別班で作業するか、休息日にあてると勝手に思い込んでいた2名が来てくれたので助かった。人員確保も班長の役割。足りなければ個人で来ている人を受付でスカウンティングしなきゃならない。 休憩やこまごまな時間管理が必要なのでこの日石巻来て初めて作業中も腕時計をはめていた。 ここ2〜3日ほぼ同じ場所(大学から車で30-40分)で作業していて、原則道分かる人に複数台で付いていくパターンだったのだが今日は先導車がなく、iPhoneナビで僕を乗せた軽トラが先導した。 前回もだが、iPhoneのGoogleマップは本当に大活躍だ。携帯GPSだもんね。 ところがぼーっとしてたら曲がるところを直進してしまった。まあ、どこかで曲がればいいんでとノンキに構えていたら被害のやや大きいエリアにはまってしまいなかなか曲がれず遠回りをしてしまった。すまんよー。 副産物といっちゃ不謹慎だが大日本製紙工場の真裏を走り、海沿いと、作業しているエリアの中間部分を初めて通って被害状況が確認できた。立派な豪邸があり、荷台のUさんが以前ここの泥だしをやったと言っていた。大日本製紙のおかげで壁は一切被害を受けていない。工場のおかげで被害が少なくすんだ家もあるのだ。
Aさん宅着。2ヶ月前と同じくここに道具類が集結していて妙に落ち着く。 今日はSTBというどこかからの団体さんが集まってきて、僕らが床板をはがしたKYさん、KSさん宅の泥だしをやってくれた。 1人ブラックジーンズに白いチュニックのようなレース地のヒラヒラを来ていた女性がいて、そういった格好は自ずと目立つためみんなの視線を集めていた。 もちろん「ふざけるな」と感じた人もいたと思う。僕は正直なところ、彼女がリサーチ不足だったことはあったかもしれないがどんな格好だろうと作業してくれるならまったく問題ないと思っていたし、それだけに期待していた。彼女自身が一番反省して「なんでこんな格好で私来ちゃったの!恥ずかしい!」と感じてるかもしれないしね。この話はまたのちほど。 僕らは昨日の続きでMさん宅の泥だしを行う。 すると町内の住人であるSKさん(初面識)がみえて「この庭のパルプは大日本製紙にやってもらった方がいい」と。その後駆けつけたSさん(リーダー)とも話したが、まだ決定には至らず室内に残っている泥だしや庭のパルプの片付けを行う。 食器棚や押し入れ、タンスの中のヘドロかき出し。庭はやっと本来どういう形だったか見えてきた。ムカデも参上した。 実はMさん、高齢のご夫婦は残念ながら助からなかった。娘さんは嫁いでいて、息子さんが残ったものの1人でこの広い一軒家は住めないと判断し、立て壊し予定になっている。そういった事情もあり、4月に斜向いのAさん宅らをやったにも関わらず、この至近距離で2ヶ月(311からは3ヶ月)まるまる手つかずだったというわけだ。 しかしこのままだとニオイなどで近隣に迷惑がかかるということでボランティアにオファーが来たと。この手のケースは多いと思う。家を処分する決断をし、行政まかせじゃいつになるか分からない→業者はお金がかかる→ボランティアにお願いしよう、という流れなんだと思う。作業する僕らにしても複雑な思いはある。立て壊すことが分かっているなら、1階をリフォームして再びこの地に住もうと考えているお宅をやらせてもらった方が、という思いは正直どこかにある。当然被災者目線でというのが大前提であるが、なにをもって優先順位をつけていくのか本当に難しい。 室内のかき出しが終わり、庭のパルプ除去に総動員していると大日本製紙の調査の方が2名訪れ、うちでやりますと告げたため、ここで一時待機となった。 そもそも今日Mさん宅は1日がかりな予定だっただろうから、ここが終わったら次はあのお宅という予定がなかったんだと思う。日々状況が変化する中でこの次はここ、この次はここ、ときれいにスケジューリングができているわけじゃない(と思う) 待機前か後か忘れたがお昼。昨日買ったパン1個食べる。 手を洗いに何人かで水道の出るKYさん宅へ向かった。あの白いヒラヒラレースの彼女を見たかったのだ。彼女はKYさん宅周りの側溝内のヘドロかきだしをやっていた。20名ほどの団体でそこを任されていたのは4〜5名。一番厳しいところをやっている。指示されてのそこだったかもしれないが、強烈なニオイと真っ黒なほぼ水分のヘドロを果敢にかきだしていた。「何もあえて一番厳しいところやらせんでも...」と正直思ったがイヤな顔などまったく見せず黙々とやっていた。いいね!! 次の現場が決まった。二軒隣のTさん宅をやることに。 ■がM/Tさん宅 ■が4月に作業したA/M/Iさん宅 ■はがれき/ごみの仮集積場(元公園)で今回姫路市職員の方が連日キレイにしてくれていました。 さて、Mさん宅。ここも外から見たら大した被害に見えないが、室内は壮絶だった。まず震災から3ヶ月間閉め切っていた窓やサッシを外す。同時に大量のハエが外へ。閉め切った状態だったため、ヘドロは乾燥せずドロドロのまま、20〜30cm堆積している。そこに長靴を入れるとなかなか抜けないため、板や何かを使って可能な限りその上を移動する。正直どこから何に手をつけたらいいか一瞬とまどうのが本音だが、考えている暇はなく、とにかく全部出す。これだけである。 寝たきりだったと思われる介護用ベッド、車椅子、呼吸器のような機器、でかいものから細々したものまで出しては一輪車に乗せ、捨てにいく。残るものはほぼない(写真とかは別) 人数は多いが一輪車が追いつかない状況がしばしば。 それでもがれき/ごみの一時集積場(■の箇所)が頻繁に(一時的にせよ)キレイにされているのは実はすごい助かる。前回4月に3〜4メートルのがれきの山になっていた状態では一輪車で上まで駆け上がって捨てていた。これがないだけでも疲労感も効率も違うというもの。 STBという日帰り団体ボランティアのみなさん、20名ほどいたかと思われるが女性も多かった。最後の最後に厳しい現場になったが本当に助かった。 出せるものを出した後、畳など大物を外へ出すためにヘドロを先に出す判断をした。畳は20枚ほど出した。30人が一斉に動いていて休憩のタイミングがつかめないこともあり、このヘドロ出しはなかなか腰にきた。 あとで医療班の先生にボラセンで聞いてみたら、やってくる人の症状1位が腰痛、2位が粉塵等のアレルギーとのことだった。 あと、僕らが駆けつける前だけどSTBの方で1名釘踏み抜いてパックリいっちゃって搬送された方がいたらしい。大事にならなければいいが。僕自身前回踏み抜いたんですが1ヶ月は傷も残り、歩くと痛かったです。 手前の部屋はすっかりキレイになったが奥の部屋はまだまだほぼ手つかず。 ここで今日の作業終了。1〜2時間フルスピードだったといえる。 STBのリーダー(?)は作業はせず、基本管理するという役割のようで「STBのみなさん、残り15分です!」「残り5分です!」など小刻みにアナウンスしていた。ケガがあっちゃいかんし、日帰り(1日作業)だからこそ無理してしまう可能性がある。それだけに冷静に何時から何時まで、とキッチリ管理するのは正解だと思う。場に似つかわしくないというかちょっと面白かったけど(笑) ボランティアが「ただただきつかった。もう勘弁」なんて印象で終わってしまったらやはり残念。楽しく、とは言わないがきつい中でも何かしらの充実感を得て、また是非来たい、と感じてもらえた方がいい。長い道のりなんだし。泥だし等の力仕事部隊は避難所のように現地の方と直接接する機会が少ないこともあり、なおさらそう思う。 帰り、一番近いコンビニのミニストップ(前回は開いてなかった)に立ち寄るとそのSTBの団体さんとバスがあった。会話はなかったが、みんな笑顔で荷台の僕らと見えなくなるまで手を振っていた。 名前も知らない。顔もよく知らない。それでもなんか通じているという実感があって、嬉しかった。 僕の今回の作業もここで終了。 明日の班長は熊本から来てもう1ヶ月にもなるNさんに。軽トラの荷台に乗り、Uさん、Nさんと少しだけ撮影したりして(Uさんが「こんな機会ないから!」と乗り乗りで)顔出ししちゃえ!(笑) 石巻駅前は海も近く結構被害を受けているが、居酒屋やバーなど結構再開している様子。 ボラセン着。あたたかいコーヒーをもらう。 ここでの疲れを全部落とすぞ、風呂いくぞ、と意気込んでいたがレンタル自転車はすべて出払っていた(ショック!!) みんなと別れ、今回一番ヘドロで汚れた長靴を丹念に洗い、今夜は雨予報なのでテントに入れた。丹念っていっても限界あるんでニオってたろうがきっと鼻も麻痺してたんだろう。 資材庫(4月に寝床だった所)前で記念撮影している団体がいたんで、医療班のNさんに聞いたところミュージシャンのSUGIZO氏とのこと。サングラスに黒マスク、格好だけ見ると「????」と思うが実際体動かして泥だししたり、漁港の網の作業をしたりしていたとのこと。それ聞いたら白いヒラヒラガールじゃないけど格好なんてどうでもいいと。Nさんは全然興味なかったけど彼の信念とか聞いて感動したんでこれからブログ覗くかもと言っていた。「ブランドものの服とか外見はね、外向きの見せ方があるからそこはしょうがないしね」とも。 さて、5日ぶりの風呂へ歩いて向かうなう! 約40分かかった。急げば30分で行けるかも。男湯は「松戸湯」とあり、千葉の自衛隊の方が運営されている。被災されている現地の方も一緒なので、悪いことしてないのに若干肩身の狭い思いを抱きながら入浴。 四角い大きな浴槽が2つ。その周りに椅子と洗面器、シャンプーなどがあり、湯船のお湯をすくって体を洗う。大勢いたが会話はまったくない。 「どーも」と声かけられ、見るとボラセンで何度か話した側溝バスターズのイケメン青年が隣にいた。お互い体洗ってる最中だったんでその挨拶のみでその後見失った。 湯船につかると「ちょうどいい温度ですね」と隣の人が声をかけてきた。奈良から来た個人ボランティアの青年(推定20代)で、たまたま一緒の現場で作業して意気投合した京都の人(推定20代)と風呂へ来ていた。今日がボランティア2日目という。つられて「どのあたりやったんですか?」と聞いてしまってから我に返った。いかん、ここには被災された方がおるってーの。ボランティア同士の会話は遠慮せねば。とその後つれなくダンマリしてしまって申し訳なかったが外でばったりあって事情を理解してもらえた。彼は昨日も自衛隊風呂へ来ていたが被災者もいると知らず、今度から注意します、と。 彼ら2人も歩いて30〜40分かけてボラセンから来ていた。 彼らが作業したのはボラセンから車で10〜15分ほど、比較的被害が小さいエリアだがそれでも1階70〜80cmは浸水したため、泥だしをやっているという。 出口で「お〜いお茶」をいただく。自衛隊のみなさん、ありがとう! 一緒に作業していた大学3年福祉専攻のSくんが食べたというので、COOP内にあるうどん・そば屋さんで釜揚げうどんを食べた。 戻ってiPhone充電していると炊き出しのアナウンスが聞こえたんで駆けつける。 朝、今夜の炊き出しはボルシチだと聞いていたんで楽しみにしていた(笑)。ごはんにボルシチをぶっかけ、いただいた。うまかった。ごちそうさま。 午後10時就寝。 夜中雨がテントにあたる音で一旦起きたら(たぶん0時〜1時頃)騒々しい連中が盛り上がっていて寝付けず、仕方なく充電に行ったが(雨はやんでいた)寒いので再び戻り寝る。 この日は3時台、4時台にもなぜか目が覚め、自衛隊風呂で会った京都の人と充電エリアで会った。そんな夜中に、そこに自分含め2人しかいないのにまた会うってなんか不思議だ。【続きを読む】 |